医療従事者たちの想いとオリンパスの技術を融合させた開発者の物語

主に肺がんがリンパ節へ転移しているかどうかを調べるときに用いられる「EBUS-TBNA」(イーバス・ティービーエヌエー)。今では日本肺癌学会が公開している肺がん診断のガイドラインでも推奨されるほか、広く海外にも普及しています。EBUS-TBNA開発を成功に導いたエンジニアであるオリンパスメディカルシステムズ(株)の廣岡健児さんに、開発秘話を聞きました。

EBUS-TBNAの開発チームのリーダーを務めた廣岡さんは、祖父が鍛冶職人、父親は鉄工所を営むなど、子どもの頃から物作りが身近にある環境で育ちました。そんな廣岡さんにとって、大学進学時に工学部を選択したのは自然な選択だったといいます。

廣岡さんがEBUS-TBNAの開発に携わることになったのは、1997年のことでした。デンマークの胸部外科医から「超音波装置で確認しながら、気管支周辺のリンパ節に針を刺して組織を採取したい」という要望が寄せられたのがきっかけです。これを実現するには、気管支壁の裏側にあるリンパ節を「観察する」ことができる超音波気管支鏡(スコープ)と組織を「採取する」ための吸引生検針を開発する必要がありました。当初は自社が保有する既存技術を組み合わせることで「視る」と「採取する」を達成しようとしましたが、スコープと吸引生検針、共に大きな壁に直面しました。

スコープで課題になったのは挿入部の太さでした。当時、超音波気管支鏡で画像を観察しながら組織を採取する方法は、既に消化器分野では確立されていました。しかし、気管支では気道(空気の通り道)を確保しなくてはならないので、挿入部を大幅に細くする必要がありました。

「デンマークの医師のところまでプロトタイプを3回持って行って、3回ともダメでした。机上のテストでは上手くいくのですが、実際に医師が摘出した臓器を使って組織を見てみると、上手くいかないのです」(廣岡さん)

失敗に次ぐ失敗にブレークスルーをもたらしたのは、革新的なソリューションを搭載した4次プロトタイプでした。それまでは既存のメカニカルスキャン方式をベースとして改良していましたが、4次プロトタイプは、社内で開発を進めていた超小型の電子スキャン方式を採用しました。この技術開発により、それまでの課題を一気に解決し要求仕様を満たすスコープの完成へと繋がりました。

一方、吸引生検針の開発では、針の穿刺長さ(ストローク長)を巡って、国内の医師と海外の医師で意見が真っ二つに割れました。より多くの細胞を採取するために「4センチ」を主張する海外の医師対し、安全性を考慮し「2センチ」にすべきと主張する国内の医師。間に挟まれるオリンパスは悩ましい立場に置かれることになりました。

「両方作ったとしても、4センチを許容したことになり、それがなぜ安全なのか説明ができない。間を取って3センチでは、あまりに思想がない。朝から晩まで考え抜いても答えが見つかりませんでした」(廣岡さん)

そうした中、ある日散歩をしていたときに突然、アイデアがひらめきます。「そうだ2センチの場所にストッパーを設置すればいいじゃないか!」デフォルトは2センチに設定し、医師がストッパーを外せば4センチになるようにすることで、医師自身の意思でどちらかを選択できるようにしたのです。コストを抑えながら医師の要望に応える、非常にクリエイティブな解決策でした。

スコープと吸引生検針が完成した後は、安全に検査・診断を行うためのトレーニングプログラムを日米欧の医師とオリンパスが協力して作成。プログラム作成に関わった医師が講師を務め、ドイツでトレーニングコースを初開催しました。オリンパスが医師と共に創り上げたイノベーションに多くの参加者が興奮し、初のトレーニングは大成功を収めました。トレーニングコースはその後も世界各地で実施され、EBUS-TBNAを広く世に伝える契機となっています。

EBUS-TBNA誕生を支えたもの、それはオリンパスのDNAとして、脈々と受け継がれる共創のDNAだと廣岡さんは語ります。

「胃カメラ開発の歴史を振り返ると、ユーザーである医師たちとエンジニアが一緒になって技術開発してきました。EBUS-TBNAの開発も同様で、患者さんの命を救うイノベーションのために協力を惜しまない医師と、何度失敗してもめげないエンジニアが、共通の目標でつながる時に生まれる人知を超えた力。それが成功の秘訣だと感じています。オリンパスのDNAは、ユーザーの声を真摯に聞くことと、その声に基づいてユーザーと一緒にソリューションを考えていくことなのです」(廣岡さん)

2024年8月の取材に基づき作成しています。