米谷美久が語る開発秘話 セミオリンパスI~ペン、ペンFシリーズ

「ハーフでも一眼レフを」の声に応えて
シャッターの開発に取り組む

昭和30年頃、下宿先にはまだテレビがなく、帰宅すると小説を読んだりしていた時代です。ここまでブームになると、もしかしたらハーフでも一眼レフがほしいと言い出すかもしれない。暇にまかせて考え始めた。

普通の35mmのカメラを半分に切って設計すればいいかというと、そうはいかない。35mmのカメラは横に長いでしょ。ミラーを跳ね上げるわけですから、長い辺を回転中心にして、短い方が跳ね上がる。それでもミラーがレンズにぶつかるというので大変でした。今ではレトロフォーカス・レンズといって当たり前になっていますけどね。ハーフは半分に切るので、ミラーの短い辺を回転中心にして長いほうが跳ね上がるんです。ということは、もっとレンズにぶつかりやすいということです。これは長いほうを跳ね上げてはだめだということになって一眼レフでは初めてミラーを横に跳ね上げると、今度は横に行った光が目に届かないじゃないですか。そんなことを家で考えているうちに、横に行った光は上に行かせようというアイデアが生まれました。

次はシャッターです。横に跳ね上がるということは、横に伸びるということなので、今度はミラーがシャッターとぶつかる。これはだめだと、最終的にロータリーフォーカルプレーンシャッターに行き着くわけです。記者発表でフォーカルプレーンシャッターではない?と聞かれるくらい珍しいアイデアでした。夕食後の一時、こんなことを考えているとミステリー小説よりも面白いですよ(笑)。

とにかく、フォーカルプレーンシャッターを開発すれば、横には伸びるけれども一眼レフはできるぞと、自分なりに考えていたんです。技術の壁を乗り越えるアイデアをまとめて会社へ持って行き、デスクの引き出しに入れておきました。「ペン」の設計と製造で大忙しの時期でした。

「ペン」が大ヒットを遂げて、だいぶたってからでしたが、「一眼レフがほしいという声があるがどうかい?」と櫻井設計部長より声をかけられました。私は「ペン」に携わりながら考えていた図面を机の引き出しから取り出して、即座に上司に見せました。はじめは従来の一眼レフの形ではないので、びっくりされていました。ひとつひとつ説明していくと「それで行こう」と言われました。

そこで思うのですが、何かを言われてから始めたなら、それから半年くらいかかってしまいますからね。忙しいときに、たまたま頭の体操のようにしていたら出てきたアイデアがあって、そこから新しいことが決まっていくんです。

唯一、ハーフサイズの一眼レフカメラ
「ペンF」を作り上げるまで

「ペン」が売れていたので、今度は仕事を進めるにあたって常識の壁はありませんでした。むしろ「早く作れ」と言われます。しかし技術の壁はそうはいかない。ひとりでは設計する余裕もございません!初めて部下がひとりできました。この部下が開発部内一の理論家でして、まずロータリーシャッターを作ってみようという。円盤が回るシャッターの基本形を作りました。見ているとカッコいいんですよ。それ以後はその後輩に任せることにしました。しかし、そう簡単にうまくはいかないですよね。くるくる回っているのは50分の1秒くらいなんです。速くしようとしても、ぜんぜん速くならない。最高速度が60分の1秒のシャッター速度の一眼レフなんてありえませんよ。

結論からいうと、速くするには重さを軽くするしかないということになった。絞りとかシャッターなどはスチール薄板です。100分の6mmの厚さなんですが、速くしようとすると重くて回らない。そこで軽いアルミで作ってみたんです。すると軸と羽を留めているところの耐久力がなくて、留める部分の本数を増やした。一箇所をしっかり留めたところ、今度はその先が壊れるんです。回るけれども、止めるのは瞬間的に力が働くのでショックがすごい。アルミの板が扇子を畳んだようになってしまった。これはダメだ、もっと軽い材料はないかと探しました。そこでNASAで使っているチタンを使ってみようということになりました。当時はめったになくて、購買部門が必死になって探しました。横須賀のどこかにあると聞き付け、ほしいのは試作用のほんの少しだけにもかかわらず、チタンの切り売りはしないといわれ、大きなロールで買ってきました。高かったですよ。後で使えたからよかったですけどね、使えなかったら大変な損害になっていました。


オリンパスペンF

チタンを使うと300分の1秒の速さになりましたが、まだ足りません。そこでさらにチタンを薄くした。ただ薄くしただけでは、また扇子を畳んだようになります。周囲だけ厚く残しておき、ガラスを腐蝕する顕微鏡の技術を用いて、チタンを腐蝕して真ん中を薄くしてしまおうと考えました。それで何とか500分の1秒に近づいてきた。ところが、まだだめだという。あとはバネを強くするしかないわけです。バネを強くすると、はじめのうちは500分の1が出ますが、何回か繰り返すうちに切れてしまう。その部分を顕微鏡で覗いてみると、普通のスチールのバネなのに荒縄を、引きちぎったように形になっているわけです。金属疲労ですね。結局、最後はスウェーデン鋼の特殊バネで何とか解決しました。500は出たけど今度はスローのほうはどうするのだと。今ならコンピュータでできますが、当時は機械ギアです。シャッター膜が全開したところで止めるわけです。ギアにものすごい力がかかります。すると「止まった」というんですよ。ギアが丸坊主になるんです。歯が半分くらい折れて取れているんです。そんな苦労をひとつひとつクリアしながら、なんとかフォーカルプレーンシャッターを作り上げました。

そういうわけで「ペンF」を作り上げたんです。おかげで世界最初の、唯一の一眼レフができあがりました。ところがこれが大失敗。すべて特許を取り過ぎたおかげで他社がまったく作れなくなったんです。ブームにならないんですよ。

ここで前半のお話を切り上げますが、自分では勝手にビジョンを掲げて、2つの壁に必死に挑戦してきたつもりだけど何ということはない。オリンパスカラーの範囲内でした。

文責:オリンパス ホームページ戦略グループ