見える壁と見えない壁 「見える壁と見えない壁」(後編)

「見えない壁」を超えるのは、
昔も今も未来も、人の熱意と努力だけ。

昔聞いた話ですが、靴のセールスマンが、靴を売るために旅立った。飛行機を降りて見渡すと、周りの人は裸足で靴を履いていない。それを見て、ここでは靴が売れるはずがないと判断し、さっさと帰ってしまった。ところが別のセールスマンが同じように来たのですが、やっぱり靴を履いていないのを見て、この人たち全員に靴を履いてもらいたいと考えた。そうすれば、大変な売れ行きになると思って販売活動を始めた。


オリンパスペンEE

同じ状況下でも、見方によって発想や判断が全く異なります。決して特殊な状況下の話ではありません。カメラの世界にも同じようなことがありました。

1960年代当時、女性のカメラ購入者はわずか3%未満にすぎませんでした。ゼロと言っていいほどです。

このカメラを持たない女性たちを見て、女性向けのカメラは売れるはずがないと判断することもできるし、カメラを持っていないのだから、この女性たちにカメラを持たせれば大変な売れ行きになるとも判断できる。靴の使用状況と同じ状態でした。カメラを購入する人たちは、97.3%が男性でした。したがって、その男性に好まれるように作らなければ売れないというのが常識でした。

1つの例ですが、ハーレーダビットソンのようなオートバイです。男性が憧れる、難しいメカニズムが充満していて、それを使いこなす。それはいつの時代も男性にとっての快感なのでしょう。カメラも同じでした。操作部材も多くついていて、目盛も多く付いたカメラが好まれました。

入社した頃、会社から歩いて10分ぐらいのところに住んでいました。ある朝、通勤途中の出来事ですが、静かな住宅街の中で小さな子供とお母さんの話す声が聞こえてきました。なんだろうと思って垣根越しに見ると、幼児を追いかけてお母さんが写真を撮っていたのです。手に持っているのは、売り出したばかりの「ペン」だったので感激し、しばらく眺めていましたが、それでは近すぎる、ピンボケになるよ、とか手ぶれになるよ、とかハラハラしながら見ていました。

そんな状況を見て、「女性はカメラを買わない」という常識のままでいいのか。そういう女性にこそ、カメラを使ってもらいたいと私は思いました。

値段を安くする。使い方を簡単にする。シャッターを押すだけに。扱いが難しいカメラが多かった時代に、こういうカメラを作ったのです。それが「ペンEE」でした。


オリンパスペンEEのメカニズム

「ペンEE」は、操作部分が1つもありません。ピントリングも絞りもない、シャッタースピード目盛もない。押すだけで写る当時の常識外れのカメラです。このカメラを提案した時には、販売店の支店長会議で全員から「そんなのはカメラじゃないよ」と猛反対された。操作すべきところはどこにもない。そういうカメラですから、大阪の大手のカメラ屋さんは「俺たちにオモチャを売らせる気かい」と言ったそうです。

せっかくある先進のスペックの半分を捨ててでも、女性が気軽に使えるようなカメラを提供したかった。なぜなら写真というのは映像の記録だからです。新聞やTVなど、大きな出来事の記録もある。だけど、家庭での記録も大切です。家庭での記録となると、圧倒的に奥さんのほうがチャンスが多いわけです。当時の状況下では女性のカメラ購入者はゼロに近い状態でしたが、その見えない壁を乗り越えての提案でした。

営業は大反対。しかし、結果的にはうまくいき、大ヒットにつながりました。

常識はずれの提案によって、「見えない壁」を打破していくのは大変な努力が必要です。しかしどんな場合も、苦労するのを覚悟で提案しなければ、良い製品は生まれてきません。1割、2割の人が賛成するぐらいで研究に着手しなければなりませんが、反対する8割の人をいかに説得していくか。その壁を乗り越えていく覚悟でなければ、やっぱり何も生まれてはきません。

もう、そこには簡単な方法論はありません。一生懸命、熱意を持って説得するしかない。見えない壁を越えるにはこれしかないのです。

第一に、コンセプトが揺れてはいけない。揺れていては誰も説得できないし、誰もついてきてくれません。自信を持って、責任を持って、見えない壁、常識の壁に対峙していくしかありません。そうやって初めて、世の中にない新しい価値創造に携わることができるのです。

今のオリンパスに一番必要なことは、常に最先端を走り世の中がついてきてブームになるような、そういう情報発信ができる会社になっていくことです。オリンパスを見ていれば将来の社会が見えてくるような、そんな提案をどんどん発信してほしいです。そういう勢いのあるメーカーになるように祈っています。

講演会後のインタビュー

時間がなく、講演会では聞くことができなかった事例についてインタビューしました。

事務局:講演会が終わり、感想はありますか。

参加された人たちは、しっかりした若者の集団だったので、オリンパスの将来を担って、立ち上がってくれると思いました。ただ、現状に満足するのではなく、自分を飢餓状態に追い込む必要があることを感じました。

事務局:最後の項目である、XAは時間がなく詳しくお話を聞くことができませんでしたが、追加することはありますか。

われわれの努力でいかなるものを作り上げても、すべての望みを盛り込んだ万能の装置は存在しません。道具としてカメラを選ぶ時は、コンセプトのあったカメラを選ぶのが重要だと思います。

例えば、最近の携帯電話にはカメラが組み込まれています。私から見れば、理想に一歩近づいたモノです。

ところが、「それはカメラじゃない、別の世界なんだ」という見方をする人がいます。その人の発想からすると、カメラの範疇から超えた世界だということで、カメラの価値観が変わってしまったということになります。

できた写真に対する見方も変わってきています。私の中では写真ももっと多様性があっていいんじゃないかと思うのです。

XAというカメラは、携帯電話のカメラのように「持っていなければ、撮れない」状況に対応するために、常時携帯することを目的としたカメラです。写すためにはキャップレスやケースレス、そういう発想ができる人と、「それはカメラの世界じゃない」と言う人では発想の原点が違います。


オリンパス XA

XAについても大変助かりました、という(マスメディアの)プロユーザーから喜びのお手紙をいただいています。

UPIのソロウェイという新聞記者が、事件が起きて、記者クラブに毎晩詰めていました。事件はなかなか解決せず、その日は一旦解散になります。彼は車で夜中家に帰りますが、いつ呼び出されてもいいように、服を着たまま仮眠しました。奥さんは夜中に盗まれてはいけないと思い、気をきかせてトランクから撮影機材を玄関に運び出しておきました。

数時間後に事件の進展があり、呼び出された彼は現場に駆けつけ、いざトランクを開けたら撮影機材がありません。驚き慌てた彼でしたが、ベルトにはXAを常時携帯していました。そのXAを取り出し撮った写真が、翌日のNYタイムズの一面に載りました、と彼からお礼の手紙をいただきました。

人によっては、「それはカメラではない」と言いますが、カメラには常時携帯という1つの価値があると実証してくれました。

事務局:ありがとうございました。