ナンバーワン技術への挑戦「カメラの小型化」

生産技術の理論的裏づけと技術者たちの執念により、立ちはだかる壁を越える

小型・軽量、斬新なデザインにこだわり続け、魅力あるカメラを実現してきたオリンパス。その背景には他社製品をしのぐ独自技術があります。

こうした技術の獲得には、必ずといっていいほど、立ちはだかる壁がありました。斬新なアイデアも夢も、この壁を乗り越えてこそ現実のものとなるのです。オリンパスの強みは独創性を生み出すDNA。技術屋魂が脈々と息づいています。

カメラ、ICレコーダー、双眼鏡は、オリンパス(株)が所有・管理する製品ではなくなりました。2021年1月以降、OMデジタルソリューションズ(株)に移管され、販売されております。

「ペン」「OM」シリーズ、妥協を許さない常識への挑戦

1960年代から70年代にかけて、ハーフサイズカメラの一大ブームを引き起こした「オリンパスペン」。ハーフサイズによる小型化、リヤ-ワインディングによるシンプルな巻き上げ機構、Dズイコーレンズ、卓越したデザインなど独創的な発想を凝縮した「ペン」が誕生しました。

この後、「ペン」シリーズの独創性は、伝説のハーフサイズ一眼レフシステム「ペンF」シリーズを生み出すこととなります。この背景には技術の壁に挑戦して、技術者たちの「夢」と「独創性」を実現させた多くの独自技術がありました。


オリンパスペン(1959年)
初代「オリンパスペン」。ハーフサイズによる小型軽量化を実現。


オリンパス ペンF(1963年)
世界初のハーフサイズ・システム一眼レフ。初めてシャッター幕にチタンを用いたロータリーシャッターを開発。技術者たちの多大な努力と苦心により高速化と耐久性の両立を成し遂げている。

1960年代の後半、各社から本格的な一眼レフが登場するなか、独創的な35mmシステム一眼レフカメラの開発が進められていました。それまでの一眼レフが抱えていた、大きく、重く、音・ショックが大きいという3大課題の解決を掲げて、設計者、技術・技能者たちの、妥協を許さない果敢な取組みがOMシステムに結実していきました。

一眼レフの3大課題解決というだけに、技術の壁も常識の壁もはるかに大きいものでしたが、圧倒的に小さく、凝縮された美しいフォルムのモックアップを見た技術者たちは、チャレンジ精神を奮い立たせられました。

独創的な設計とコストを両立させる生産技術者の取組み

独創的な小型軽量設計とそれを支えた生産技術がありました。

構造部品はできるだけ小さく、できるだけ軽く、しかし強度や耐久性は飛躍的に向上させる。このためには従来常用されてきた真ちゅう材に代えて、軽いアルミ材や、わずかに比重が軽く強度のある鉄材を使うなど、強度計算に基づいた徹底した重量軽減が図られました。

また、集光コンデンサーを一体化し下面が曲面となったペンタプリズム。シャッターのリボンをヒモに変更し、さらにシャッターブレーキを組み込んだ小型フォーカルプレーンシャッター。ミラー駆動部には大型ミラーの作動ショックを和らげるエアーダンパーなどが採用されました。

これら独創的な設計の実現には、並行して進められた生産技術の数百にのぼる研究試作テーマへの技術者たちの取組みがありました。

つくりやすく、なおかつコストを抑えるという課題へのチャレンジ。鉄材に代えることによる防錆技術、熱処理技術の開発。グリスに頼らない乾式潤滑方法、前例のない、下面が曲面のペンタプリズムの加工研究。エアーダンパーの超高精度加工方法の確立。シャッター幕とヒモの接着組み立て技術など、小型軽量設計を実現させる新たな独自技術が生み出され、設計に反映されていったのです。

1%でも可能性が残っていれば挑戦し続けた技術者たち

試作機でも大きな壁がいくつも立ちふさがりました。

シャッターやミラー駆動など、高速作動する機構一つとっても、前例のない技術を確立するのだから、やってみて初めてモノがわかります。狙いの性能の確保、繰り返し動作での耐久性、氷点下での性能保証、音・ショック、バウンドの軽減など。エアーダンパーでは実験計画法を駆使して最適条件の模索が行われました。

試作チームは、検討のアイデアを出し合って、夢中になって取り組みました。時間をかければかけただけ手応えがありました。試作期間を延ばしてでも実験が徹底的に繰り返され、独自技術が熟成されていったのです。

試作が佳境に入った1971(昭和46)年の夏、地元の水産卸業者の冷凍倉庫を使わせてもらって低温実験が行われていました。恒温実験室のある八王子に検討品を運ぶ時間が惜しかったのです。冷凍の水産物の横に試験機と試作機を持ち込んでのデータ取りの繰り返し。外は真夏、冷凍倉庫は極寒の世界。試作品もさることながら担当者にとっても過酷なテストでした。

技術の壁にぶつかっても、理論的に1%でも可能性が残っていれば、諦めずに挑戦し続けた技術者たち、確立した独自技術を製品に結実させた諏訪工場(現・長野オリンパス)。「世界一に挑戦する」という夢と、「俺たちがやらなければ、会社がつぶれるかもしれない」という危機感を胸に秘めていました。

今も息づくものづくりオリンパスのDNA

1972(昭和47)年に発売された「M-1」(後の「OM-1」)は、圧倒的な小型化、携行性から大ヒットし、その後の一眼レフカメラの小型化のきっかけとなりました。

この「小型軽量」・「独創性」のものづくりのDNAは、その後、コンパクトカプセルカメラ「XA」、美しいフォルムの「μ(ミュー)」、さらに時を経て2003(平成15)年発売の「μDIGITAL」、2009(平成21)年発売のマイクロフォーサーズ規格「PEN E-P1」、2012(平成24)年発売の「OM-D E-M5」、2013(平成25)年発売の「OM-D E-M1」へと引き継がれています。


OM-1(1973年)
当時世界最小最軽量の35mm一眼レフ。防錆技術、加工技術、表面処理技術など、さまざまな社内技術を大きく進化させた。


OM-D E-M1(2013年)


OM-Dとマイクロフォーサーズ交換レンズ群
ミラーレス設計により、小型・軽量と、ハイスピード・堅牢を両立し、世界初の「5軸対応手ぶれ補正」、世界最速「FAST AFシステム」などを搭載したフラッグシップモデル。