- 創業者山下長(やました・たけし)により顕微鏡の国産化を目指し、社名「高千穂製作所」として発足(東京都渋谷区幡ヶ谷)(10月12日)
- 初代社長に川上謙三郎(かわかみ・けんざぶろう)が就任(10月12日)
年表
1919年~1945年
創業から終戦まで
関東大震災や太平洋戦争という社会的にも経済的にも過酷な時代に、当社は創業者山下長のもと顕微鏡製造の基礎固めを行いました。
輸入品に対抗できる国産顕微鏡製造に向けて、技術集積と販路拡大の苦労を重ねた道のりは創業者著「苦節十三年」に詳述されています。「昭和号(GK鏡基)」開発は、永く輸入品に太刀打ちできなかった油浸系高倍率顕微鏡の壁を打ち破りました。
国産奨励政策の後押しもあり、世界最高といわれたラインヘルト社製品に匹敵する金属顕微鏡「MC」の試作機完成をわずか1年で成し遂げるなど、技術力の著しい伸張をみることができます。また、「瑞光(ズイコー)」と命名された写真レンズの開発に成功し、当社初のカメラ「セミオリンパス」製造など事業の多角化への端緒を開きました。
1919年
1920年代
- 600倍顕微鏡「旭号」を発売(1920年3月)
- 商標オリンパスを登録(1921年2月)
- 創業7周年を記念して高千穂稲荷神社を本社敷地内に建立(1926年10月)
- 液浸系顕微鏡「昭和号(GK鏡基)」を発売(1927年初頭)
- 顕微鏡「精華号」を昭和天皇へ献上(1928年5月)
1930年代
- 金属顕微鏡「MC」完成(1930年2月)
- 「苦節十三年」(創業者著)発行(1932年)
- 創業者山下長が社長就任(1934年3月)
- 東京都渋谷区田毎町に工場を設立(1936年4月)
- 写真レンズ「ズイコー」を開発。念願のカメラ事業へ進出、当社初のカメラ「セミオリンパスⅠ」発表(1936年9月)
- 茶谷保三郎(ちゃたに・やすさぶろう)社長就任(1939年4月)
1940年代前半
- 社名を高千穂光学工業と改称(1942年5月)
- 長野県諏訪郡長地村に工場を設立(1943年12月)
- 長野県伊那町に工場を設立(1944年2月)
- 神田正吉(かんだ・しょうきち)社長就任(1944年6月)
年表