- 福島県会津若松市に生産拠点を設立(1970年6月)
- 生化学自動分析装置「ACA-III」を開発、分析機市場に参入(1970年7月)
- 神部健(かんべ・けん)社長就任(1971年12月)
- 小型軽量のシステム一眼レフカメラ「オリンパスOM-1」を発売(発売当初の名称は「M-1」)(1972年7月)
- 北村茂男(きたむら・しげお)社長就任(1973年12月)
- 医療用硬性内視鏡分野に進出(1975年4月)
- 映像事業の米国販売拠点オリンパス・カメラ・コーポレーションを設立(1977年3月)
- 福島県西郷村に生産拠点を設立(1978年11月)
- 世界初バリアタイプのコンパクトカメラ「オリンパスXA」を発売(1979年5月)
- 米国カリフォルニア州に内視鏡の修理サービス拠点を設立(1979)
年表
1970年~1989年
海外販売拠点の拡充と内視鏡の技術革新
二度のオイルショックを経て好景気からバブル期へと突き進んだ時代、オリンパスは生産の基盤を強固にし、輸出の拡大に伴い海外販売拠点を拡充しました。また、顕微鏡、カメラ、医療の3事業に続く柱として分析機市場に参入します。
一眼レフカメラ「OM-1」は、それまでの大きい、重いという一眼レフの常識を覆し大ヒット。また、内視鏡ビデオ情報システム「EVIS-1」の発売は、内視鏡のビデオスコープ化によりモニター画面を医療従事者全員で確認するという、操作をより安全で確実なものにするという画期的な環境変化をもたらしました。
1970年代
1980年代前半
- 長野県辰野町に辰野事業場を設立(1981年11月)
- 超音波内視鏡システムを発売(1982年7月)
- 自動輸血検査装置「PK 7000」を発売(1983年4月)
- 米国販売2拠点を北米現地法人オリンパス・コーポレーションに統合(ニューヨーク州)(1983年5月)
- 世界初AF機能搭載高級万能顕微鏡「AH-2 シリーズ」を発売(1983年5月)
- 世界初のリチウム電池使用コンパクトカメラ「オリンパスAFL(ピカソ)」を発売(1983年10月)
- 下山敏郎(しもやま・としろう)社長就任(1984年2月)
- 事業部制へ移行(1984年11月)
- 内視鏡ビデオ情報システム「EVIS-1」を発表(1985年3月)
- 生化学自動分析装置「AU5000」を発売(1986年7月)
1980年代後半
- 光磁気ディスクドライブ市場に参入(1986年)
- 英国キーメッド社を子会社化(1987年2月)
- 自動酵素免疫分析装置を発売(1987年2月)
- 中国北京市に駐在事務所設立(1987年6月)
- 東京都八王子市(久保山町)に技術開発センター宇津木を設立(1988年2月)
年表