- 世界初の実用的なガストロカメラ(胃カメラ)の開発(1950年11月)
- ガストロカメラ「GT-I」を発売(1952年)
- 高橋冏(たかはし・あきら)社長就任(1953年6月)
- 日本写真機工業会による日本カメラセンター開所(米国ニューヨーク)に伴い、当社駐在員を派遣(1956年9月)
年表
1946年~1959年
戦後の再建と経営近代化への道
日本が復興に向けまい進した時代、他社に先駆けて当社は生産工場の再稼動に着手し、経営の近代化への道を歩み始めます。
戦後数年のうちに生産工場を再建しますが、資金、資材ともに乏しく多くの困難がありました。戦時中に都心から長野県の2工場(伊那、諏訪)に疎開させていた顕微鏡やカメラの資材・冶工具を使って生産を再開したことはその一例です。その後、創業の地、渋谷区幡ヶ谷に本社の建設をおこないました。
企業再建整備法による増資完了を機に、オリンパス光学工業へと社名を改称します。製品ブランドとの一致のみならず、日本の高千穂から世界のオリンパスへと羽ばたく経営陣の夢がこめられました。
また、戦後まもなく東大病院医師から相談を受け胃カメラの開発に着手します。
1940年代後半
- 国産初のレンズシャッター付き35ミリフィルムカメラ「オリンパス35I」を発売(1948年)
- 社名をオリンパス光学工業と改称(1949年1月)
1950年代
- 第5回フォトキナ(欧州最大のカメラショー)に初出展(1956年9月)
- 革新的ハーフサイズカメラ「オリンパスペン」を発売(1959年10月)
年表