「技術の壁」を越えてこそ
ユーザーの心をつかむ製品が生まれる
オリンパスペン カタログ
「ペン」の設計には一人で取り組んでいましたが、今度は100人くらいスタッフがいます。とはいえ、100の力を持った人たちが100の力を発揮してもヒット商品には繋がるわけではありません。120の力を発揮して初めてヒットを放つ技術に繋がるんです。
「なんだ小さいだけじゃないか」という場合は、80の力しか発揮されないんですよ。その結果どうなるかというと、「出来ません」、「不可能です」と。こうして立ちはだかるのが、他でもない「技術の壁」です。小さくとはいっても、どれくらいの小ささが求められているのか。宣伝の立場からは1mm、1g小さくても「世界最小」だという。だけど私はユーザーなので、ユーザーの立場から見ると、1mm、2mmという物差しで計らなければ分からないくらいなら同じだと思うんです。基本的には手に取って大きさを実感します。そして1か月後に再び手に取ったときに、これは1か月前に手にしたあのカメラよりも小さくて軽いと認識できるくらいの差がほしいわけです。
すると設計者がもっと具体的な数値で示してほしいと言うんです。だから言いました。「まぁ、小さいと感じるのは半分だよ」と(笑)。簡単に半分と言ってもね…タイヘンですよ。「一眼レフは大きい」などと簡単に言っていますが、設計した方たちは一所懸命に軽くしよう、小さくしようと考えているんです。その結果が当時売られている一眼レフのはず。それを半分にしろとは無謀だと言われてもしかたがない。
当時の一眼レフでいちばん重かったのがニコンです。1.4kgくらいありましたから、その半分といったら700gくらい。さらに体積も半分にとなると、高さにして約2割引き、厚さも約2割引き。トータルで容積が半分になるはずです。そういう話をすると、設計担当者も悲鳴をあげました。そりゃそうですよ、無茶もいいところです。「無理ですよ」と言われました。たしかに不可能なんですよ(笑)。分解してみて改めて、これは無茶なことを言ったなと思いました。小さくした分だけ弱くなる。弱くなると、さっき言ったような本格的なシステムとは言えません。
小型一眼レフへの道は
過疎地の有効利用が要になる
一つはファインダーの交換、もう一つは耐久性が問題でした。何回撮影できるかということです。高価なカメラで1万回は写せますから、それを10万回にしようと言ったもので、これを受けてたつ設計者が悲鳴をあげるのは当然です。しかし何とかしなくてはならない。1年がかりで検討して、やっとOKをもらったのですから。
一眼レフのすべてが混んでいるわけではありません。混むところは混むけれども、空いている部分もあります。混んでいるとはどういうことかというと、今は電子カメラですから、リード線さえ繋がっていれば信号は伝わります。当時は機械ですから、巻き上げてシャッターをきって、シャッタースピードを変えて…。このあたりが、いわゆる中央機能ですね。東京という都市で言えば、ここが霞ヶ関でしょうか。すべての信号が繋がっているので、このあたりが非常に混んでいるんです。
当時はちょうど首都機能移転という話がありましたが、その発想から、機能を移転しようじゃないかとなりました。移転先として一眼レフのどこが空いてるのか。すると、ミラーの下の部分がもっとも首都機能から遠いんです。ただし、この移転には大変な苦労がともないます。今は電子なので簡単ですが、当時は全部機械ですからメカニズムがつながらなければなりませんね。
いわゆる過疎地を見つけて、機能の一部をそこに移せばいいじゃないかという発想がまず浮かびます。ところが、やっぱり過疎地なんですね(笑)。機能が連携できません。カメラの上から下まで通っている駆動軸を使えば駆動させる力の伝達は、過疎地でも可能なことがわかりましたが、シャッタースピードの調節などのメカニズムはなかなか移せません。無理して移すとシャッタースピードダイアルがカメラの底にきてしまう。カメラを逆さまにしないとシャッターがコントロールできない。三脚をつけたら動かせないなど問題は多いが、とにかくいっぱいスペースがあり、移動させるとしたらここしかない、というところまで辿り着いたんです。辿り着いて、力のコントロールはそう難しいことじゃない。問題はシャッタースピードとほかとの連携なんです。この下のものを上に持ってくる方法論として、この前側にシャッターダイアルを持ってくる。これしかないぞ、シャッターダイアルを持ってきた。OMだけですね、こんな所にシャッターあるのは。
左手は絞りとシャッターと距離を合わせる。するとむしろこっち側のほうが人間工学的だと。そんなふうにして作りました。それでレンズマウントのところにシャッターダイアルをつけることにしたんですよ。すると過疎地もたちまち銀座4丁目みたいになります。
そう提案すると、カメラを良く知る人達が言いました。一眼レフというのは、レンズシャッターとフォーカルプレーンがあるとね。フォーカルプレーンの一眼レフは世の中で高級機とされている。レンズシャッターはどちらかというと値段も安い。レンズシャッターはシャッターが前ですから、当然レンズの周りに絞りとシャッターがあるわけですね。そうすると、レンズシャッターに間違われる、安いカメラに間違われるから、こんなもの売れるかいと。
「常識の壁」を破るのは難しいものですね。しかし、ここはもともと過疎地で何もないからのびのびと設計できます。上部では1mmの10分の1単位で同じ場所を取り合いですよ。だけど下部には何もないので、カメラ自身は小さくなるけれどもパーツは大きくなります。強くなるんです。そういう発想で、過疎地有効利用というところから小型一眼レフへの足がかりを作ったんです。
最初のオリンパス一眼レフは
本格システム一眼を追求した試作機「MDN」だった
オリンパスカメラ展に出している「MDN」という試作機があります。皆さん方は、オリンパスの最初の一眼レフは「OM-1」だと思われていますが、本当はその前に「MDN」というものを作ったのです。「MDN」というのは、本格システム一眼とは何ぞやとその真を問うようなカメラを作ろうと考えたのです。一機能一ユニットという発想なんです。フィルムは一つのフィルムパック、シャッターはフォーカルプレーンシャッター機能だけ、ミラーはミラーだけと、それぞれ一つの機能だけを持っている。それを使う側が、自分の使いたいように組み合わせて一つのカメラに仕上げる。だから、そこには一眼レフカメラという発想がありません。レンズシャッターでもかまわない。そういう本格的なシステムカメラを作ろうと努力していました。機能の移転から、それが可能になってきて「MDN」になったんです。
MDN(組み合わせ一例)
MDN(ユニット)
しかし、一つずつ組み合わせて自由に設計しようとすると連結するマウントが大変なんです。マウントは全ユニットを取り付けなくても機械的に全部連携させないといけないですから。すると全部の設計が終わらないとスタートできません。途中、こっちに変えてほしいという要求が出てきますからね。そういうことを繰り返して出来たのが、カメラ博物館のオリンパス展に飾ってある「MDN」なんです。そんなことをやっていたので、時間ばかり経ってしまって、営業担当にしてみれば、今すぐにでもほしいわけです。待てないと言われました。
多機能な本格的なMシステム、しかしそうは言っても大衆機というか、安いカメラも、そのユニットの一つだと考えた。3つのユニットを組み合わせて一つにするとか。組み合わせの自由度が減るかわりにその分コストも減ると。それで「MDS」を考えました。「MDN」のNはノーマルのN、「MDS」のSはシンプルのSです。このシステムの中の一番の大衆機として、あることはあったんです。だけど僕は本格的システムカメラとして「MDN」の方を一所懸命設計していたので、こちらには手をつけてはいなかった。しかし、どうしても急ぐというので、一番後回しにしていたこのユニットを先に作りますということになりました。そのテスト機として「MDS」を作ることになったんです。Mは皆さんの知っている誰かさんの頭文字です(笑)。すんなり通っちゃったんですよね。Dはダークボックス。そしてシンプルのS。大衆機として考えていたものを先行させて作ることになったのが、最初の「M-1」だったのです。
しかし、各社が必死になって小さくしようとして、できなかったものを小さくしろというわけでしょ。設計の方も大変だったけど、作る方もやっぱり大変なんですよ。1mmとか3mm伸ばしてくれとかね。実は下のほうに電池を入れるところがあるのですが、ここに防水とまではいかないけど防滴のためのパッキングを入れたかった。だけどそのスペースがないという。しかたない、1mmやるからと言うと、すぐ設計してくれました。もう喜びましてね。この1mmのスペースが取り合いですよ。例えば、横のレバーで1mm使ってしまった。するとレンズ部門の方から、「いやー、1mmなくても大丈夫な設計ができました」と言われましてね。まったく困っちゃいましたよ。私が始めに決めた寸法に戻せというと、もうダメだという。電池はできたけど、もう元には戻らないという。
M-1(OM-1)
だから、現在あるのは私が初めに決めた寸法よりも1mm高いんです(笑)。そんなことをしておりました。